帰宅後の新習慣

毎日仕事から帰ってくると、ついスマホを手にしてソファに座ってしまう。
ほんの数分のつもりが、気づけば30分…下手したら1時間だらだら見ていることもある。
その時間がもったいなく感じて、ここ最近試しに「帰宅してからお風呂に入るまでスマホを玄関に置いてみた」っていうのが、はじまり
やってみたら思いのほか効果を実感できて、視界からシャットアウトすることで、”スマホの存在そのものを忘れられる”。
スマホとの距離を取ることが、すごく大事なんだと気づかされた。
アプリの通知も気にならないし、電話の着信は気付けるようにしてるから、急ぎの用事があれば電話がかかってくるはず。
良いのか悪いのか、普段日常を生きていても電話が掛かってくることなんてそうそうない。
それに、手に持ってなければ“暇”が生まれる。その暇こそ、自分の時間の入り口だったりする。
最初はちょっとスマホを持っているのが普通だから、違和感を感じることがあるけど、そのうち「あれ、なくても全然平気じゃん」ってなる。
不思議なもので、一回離れると“ないほうがラク”っていう感覚に陥るから面白い。
スマホの魔力

この習慣を実践してから、帰宅後に無意識でスマホを触ることがなくなった。その分、体が自然と動くようになったのが自分でも面白いくらい感じる。
元々そんなにだらだらする方ではないと自負しているんだけど、スマホにはやっぱり魔力がある。
Instagramを開いてみたら、友達の投稿を見て、気付いたらストーリーを見ている。
スイーツ、節約術、おすすめ商品、タイムセール。
全部「今いらない」のに気になって仕方なくなってしまう。
で、ふと思った。
これ「自分から情報を探しに行っていないな」ってことに。
画面に出てきた情報をただただスクロールして、流し見ているだけ。
受動的な情報は、思っている以上に時間を奪ってくる。
平気で1時間、2時間と時間が溶けていく。
さすがにこれはもったいないと思い、やめた。
頭が動く感覚

スマホが手元にないと、ちょっと手持ち無沙汰を感じる。
けど、その空白の時間で「今何をしようか」と自然に考える。
ぼーっとしているようで、実際に頭の中では色んなことを考えたんだ。
「今日は服を整理しよう」
「あれ捨てようと思ってたんだった」
そんな風に、今までスマホが奪ってた“ちょっとした思いつき”が、自然に湧いてくる。
自分の持ち物に目をむけ、ひとつひとつ吟味して、「これ、いる?」と、じっくり自分と向き合う時間にもなる。
日々のことを少しずつ整理したり、先のことをぼんやり考えたり。
たまに「この考え、誰かに話したいな」って気持ちにもなる。
それって、スマホの中では得られない、ちゃんとした“自分との対話”なんだと思う。
「めんどくささ」って、案外味方になる

スマホを遠ざけると「ちょっと気になる」が自然と生まれてくる。
SNSチェックしたいなとか、ちょっと検索したいなとか。
そういうとき、あえてノートPCを使うことにしてる。
理由はシンプル。
スマホは“秒速アクセス”、PCは“ワンクッション”。
この「ワンクッション」が、自分にはちょうどいいブレーキになる。
PCの電源を入れて、ブラウザを開いて、ログインする。
たったそれだけの工程でも、「まあ今じゃなくていいか」と思えることが増える。
逆に、それでも調べたいことがあれば、それは“ちゃんと自分から探しに行ってる情報”なんだと判断できる。
つまり、「気軽に見れない環境」が“本当に必要かどうか”を教えてくれる。
気軽さって便利だけど、同時に“無意識のスイッチ”でもあるから、危うさもある。
SNSには“今”必要な情報はほぼ存在しない。
少し手間がかかるぐらいが、むしろ健全な気がしてる。
それくらいの距離感で付き合うのが、自分にはちょうどいいらしい。


